米大統領の「核戦争の指令」を伝達 米軍大和田通信基地(その2)

米軍大和田通信基地は何を行っているのかご存知でしょうか。この基地は米空軍の第374通信隊が管理・運用しています。本局は横田基地にあり、大和田が受信基地、所沢が送信基地の役割を果たしています。

資料1をご覧ください。2005年12月14日の埼玉新聞です。日本平和委員会の平山武久氏が「平和運動」誌で発表した内容が紹介されています。

大和田通信基地(受信)所沢基地(送信)は、遠距離短波通信により航空機との通信を行っていて、大統領など米国の最高指導者の「緊急行動メッセージ」(核兵器を含む攻撃指令など緊急重要な通信指令のこと)を任務としています。核戦争の指令を核戦力の部隊に伝達する重要基地だということです。世界の14カ所の通信所による通信網がつくられていて、米大統領が世界のどの場所にいても、緊急に指令が出せる態勢になっています。外観はアンテナが立っているだけの静かな基地ですが、とても重要で危険な役割を果たしている通信基地です。

また、謀報活動もしているようです。資料2はループアンテナです。日本海北部・シベリア・オホーツク海方面の電波発信源の方向・位置を探知するもので、扇状に3列並び、1列に楕円のアンテナ8個計24基が1989年に設置されました。

(記・笠原進市議)

資料1 2005年12月14日の埼玉新聞

資料2 ループアンテナ


大和田通信基地の歴史
1937年(昭和12年)日中戦争開戦時、アジア太平洋地域の無線受信および傍受目的の基地として建設開始。
1945年(昭和20年)中央気象台へ移管。 11月、大和田臨時出張所が創設。
1950年(昭和25年)朝鮮戦争の直前、アメリカ陸軍が中央施設を占有し、第71大隊が受信施設として使用開始。気象台は分室扱いとなる。
1960年(昭和35年)米空軍1956通信隊の基地(90本のポール林立する)
1964年(昭和39年)アメリカ空軍の管理に移行。第1956通信群が使用。ベトナム戦争時には大和田作戦所となり、重要な役割を果たす。
1970年代 アンテナ群が倒され閉鎖状態となる。
1980年(昭和55年)アメリカ軍がアンテナ18基(72本)を撤去。
1981年(昭和56年)6月30日 ヘリポートを設置。基地機能が強化される。
1982年(昭和57年)基地調査・撤去の市民運動が活発になる。
 4月16日「米軍大和田通信基地を市民の手に新座連絡会議」(準)結成。
 4月25日 平和のための埼玉行動 3000人が基地を包囲する行動。
 6月3日 新座市が大和田通信所周辺の国有地の使用について要請する。
1986年(昭和61年)3月11日 米軍より回答。(条件付き承認)
1987年(昭和62年)米軍が核シェルターの存在を認める。
1989年(平成元年)新型スパイラルアンテナが設置される。
1992年(平成4年)第374空輸航空団第374通信中隊が使用部隊となる。
1996年(平成8年) 陸上競技場完成、利用開始。
1998年(平成10年)〜2002年(平成14年)思いやり予算で基地増強工事が進む。5棟の管理棟が1棟に集約される。地下化の工事が進む。
2001年(平成13年)アンテナ鉄塔が撤去される。
2006年(平成18年)横田基地のホームページから核通信網の記述が削除される。

(にいざ民報 2019年8月25日 No.1824)