原発被災地は「帰らない、帰れない故郷」 新座革新懇・福島支援ツアー

新座革新懇・福島支援ツアー

福島県浪江町の中心商店街は全て閉鎖され、1人として歩いている人はいませんでした。4年前の光景と全く同じでした。原発被害の恐ろしさを改めて感じました。

6月24日25日、新座革新墾が企画した福島支援ツアーに参加しました。2014年5月の支援ツアー以来4年ぶりの福島です。NPO法人野馬土代表理事の三浦広志さんに案内していただきました。三浦さんは福島県浜通り農民連の中心活動家で、東電と国の原発事故の責任を追及し、補償を求め闘っている農民です。

NPO法人野馬土が運営する産直センターでの支援ショッピングからスタート。相馬市・南相馬市・浪江町・双葉町を視察しました。

2014年の時はいたる所がガレキの山で、田畑に船や車が放置されていました。今はさすがに撤去されていましたが「ヒトが活動している地域ではない」という点では変わりはありませんでした。今回、何より目についたのは、除染によって出た放射性廃棄物のビニール袋の仮置き場と、太陽光発電のパネルでした。

三浦さんは、「国はオリンピックまでに震災復興は終了したという形にしようとしている。復興庁も32年までと言っている。私たちは復興支援の継続の闘いと同時に、太陽光発電のパネルを設置、その売電金を資金に水田復興を目指しています」と語りました。

浪江町役場を訪問し「広報なみえ」をいただきました。4月末で人口1万7841人ですが、戻って居住している人は729人です。埼玉県への避難683人とありました。

4月から7年ぶりに地元で小学校・中学校が再開されました。避難区域が設定された12市町村のうち福島第1原発が立地する双葉町・大熊町を除く10市町村で、学びの場が故郷に戻りました。浪江町では、浪江剣成小学校・中学校を新設しました。小学校10人、中学校2人が通っています。

三浦さんは「生徒のほとんどが町役場職員の子どもなどで、立場上戻らざるを得ない人たちだ」と説明しました。政府の方針で「避難指示」が解除されましたが、原発事故の被災地は「帰らない、帰れない故郷」であるということが本当に悲しいことだ改めて痛感した被災地ツアーでした。

(記・笠原進市議)

(にいざ民報 2018年7月1日 No.1771)